『湯の道』を知る。
そんな日常に溢れている
誰しもが行っている行為を今更知ってどうする?
何時からでしょうか。
朝起きて。
歯を磨き
シャワー浴びて
1日が始まる。
コロナ化の時からですかね。
ルーティンなるものが世に流行り出して。
1日の自身の生活スタイルを動画にする。
これって本当にルーティンなのか?
そういう疑問が沸くことが昔から多く
ルーティンという言葉や考え方他にあるのではないか?
そして調べてみる。
『知りたくなる』私の欲求だと思います。
正しいのか?正しくないのか?どちらでもないのか。
昔の偉い学者さん達もはじめはこういう感じで
疑問が起きて『知りたい』欲求が沸き上がったんでしょうね。
実はこの衝動の始まりが『哲学』の始まりでもあるんですね。
『哲学』と聞くと難しいですよね。
答えが出ないうちは哲学であり。
答えが出たらそれは哲学ではない。
自問自答して考えてみんなと意見を交わして
答えが出ない。
この状況はまだ『哲学』と呼んでいるんですね。
しかし答えが出たら。
それ以上の『疑問』がなくなってしまう。
『知ることが出来た』=『答え』=『欲求が満たされた』
それが哲学が終る瞬間だと私は考えています。
議論する余地がない。
あくまでもシンプルに考えればですね。
世の中の哲学者には怒られそうですが。
案外そんなものだと考えています。
答えを知る為の道筋/考える(プロセス)こそが一番大切だと思うのです。
こういう世の中や自然や人間に起きている出来事を深く理解したい
謎を解き明かしたいみんなが抱えている問題を解き明かしたい。
形を変えれば自分自身と向き合い考える。
『知る』行為=『哲学』なんですね。
案外簡単です。
深いけど浅いです。
しかし知れば知るほどまた探求したくなる。
そういう欲求を手放せればいいですが。
強欲な私はその瞬間が楽しくてしょうがない。
気宇さんに教わった『湯の道』
私がなぜ魅了されたのか。
そして気宇さんも同じことを言います。
『湯の道は深いけど浅いよね!』
このラフさに毎回笑ってしまいますが。
案外このくらいのスタンスで楽しむ事
これが最高の癒しだとここ最近理解してきました。
『今』という瞬間を最大限に楽しむ。
ただ生きているといろんな問題に直面するので
楽しみたくても楽しめない。
人間関係の問題やお金の問題や病
そういう問題も一度手放してみるのも
ありなのかもしれないですね。
それには問題と向き合って解決するか
放棄するか。
自分自身の生き方や価値観は自由に決められる。
社会性や人の評価に雁字搦めになって
人の目と信用という見えない鎖につながれて
みんな生きていますよね。
気宇さんが言う。
『何もないというのが、本当の意味で幸せなんだよね!』
私もそう思います。
『湯の道』は実は奥が深い。
次回は旅の続きです✨
最後までお読みくださりありがとうございます。
本日も1日心と体に気を付けて
素敵な一日をお過ごしください。
God Bless you
Love