2026年4月30日木曜日

大龍寺と篤姫の誕生の地 その7




過去知人にこう言う人がいました。


『歴史を知っても何の役にも立たない』


一理あると思います。


Otto von Bismarck
オットー・フォン・ビスマルク

『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』

ドイツ帝国の初代宰相のビスマルクの言葉ですね。

この時のドイツの時代を知ると

また勉強になると思います。

合理主義ですよね🐈💗


それでいながら

現代を生き抜くための叡智だと思います。

先日話した

ドイツのヴァイツゼッカー大統領も同じですよね。

過去から学び活かす。


私の場合シンプルに

楽しいからなんですけどね💗🐱🌸

さて話をもどして。




すごい門構えの敷地があるのですが💗

撮影しているここ✨

篤姫の誕生の地🐱🌸

現在も私有地みたいです。

撮影したつもりがしていなかったです😭

因みに

指宿の今和泉は篤姫が

幼少期過ごした場所で有名ですね🐈🌸

JRで通ります✨


そしてこれ。
大龍寺の跡



文殊童から黒衣の外交官へ

ー儒教僧文之和尚が開いた学問の寺院ー

戦国時代、田布施(鹿児島県南さつま市金峰町)にいた島津家15代貴久は、跡目争いで薩州島津家実久を敗り、この場所に内城を築き、移り住みました。

以来50年、内城は島津氏の本城として城下町の中心でしたが、18代家久の時、鶴丸城が築かれ廃城となりました。その跡地に建立されたのが瑞雲山大龍寺です。

臨済宗に属し、寺号は内城を居城とした貴久・義久のそれぞれの号、「大中」と「龍伯」に因んでつけられました。開祖は、南浦文之が招かれ、朱子学をわが国にもたらした桂庵玄樹の学問を伝える儒僧として、その教えを広めました。

文之和尚は、1555年(弘治元)日向(宮崎県)飫肥に生まれ、文珠童と呼ばれるほどの才児で、串間の龍源寺の一翁玄心によって桂庵の教えに触れました。

著作の中で、「南浦文集」に収められた「鉄砲記」は、我が国への鉄砲伝来を知る貴重な資料と言われています。

また文之和尚は、義久、義弘、家久の三代に仕えた政治顧問としても有名で、琉球政策などに手腕を発揮し、黒衣の外交官と言われました。

1620年(元和6)死去、鹿児島県加治木の安国寺に葬られています。


ここに書かれている事🌸

そうなんですよね🐱

儒教の教えと朱子学

学ぶことって楽しいですよね💗

そして鉄砲記✨

種子島に中国の船とポルトガル人の話ですね🐈


ここまではこの地域が上級武士のお屋敷など

含めたディープな歴史と探索の回ですね💗


そこをまっすぐ進むと

以前紹介した南洲神社ですね

南洲翁と南洲戦争の戦死者を祀る場所です。

鹿児島に来た際はぜひ一度

足を運んでいただければ皆さん喜ぶと思います。

私は線香持っていってご挨拶します。

南洲翁を中心に。

『ぼっけもん』という言葉が鹿児島弁でありますが。

『怖いもの知らず』といいます。

私からすると人間の方が怖いですけどね。。。


今回の本当の目的へ