過去知人にこう言う人がいました。
『歴史を知っても何の役にも立たない』
一理あると思います。
Otto von Bismarck
オットー・フォン・ビスマルク
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』
ドイツ帝国の初代宰相のビスマルクの言葉ですね。
この時のドイツの時代を知ると
また勉強になると思います。
合理主義ですよね🐈💗
それでいながら
現代を生き抜くための叡智だと思います。
先日話した
ドイツのヴァイツゼッカー大統領も同じですよね。
過去から学び活かす。
私の場合シンプルに
楽しいからなんですけどね💗🐱🌸
さて話をもどして。
すごい門構えの敷地があるのですが💗
撮影しているここ✨
篤姫の誕生の地🐱🌸
現在も私有地みたいです。
撮影したつもりがしていなかったです😭
因みに
指宿の今和泉は篤姫が
幼少期過ごした場所で有名ですね🐈🌸
JRで通ります✨
そしてこれ。
大龍寺の跡
文殊童から黒衣の外交官へ
ー儒教僧文之和尚が開いた学問の寺院ー
戦国時代、田布施(鹿児島県南さつま市金峰町)にいた島津家15代貴久は、跡目争いで薩州島津家実久を敗り、この場所に内城を築き、移り住みました。
以来50年、内城は島津氏の本城として城下町の中心でしたが、18代家久の時、鶴丸城が築かれ廃城となりました。その跡地に建立されたのが瑞雲山大龍寺です。
臨済宗に属し、寺号は内城を居城とした貴久・義久のそれぞれの号、「大中」と「龍伯」に因んでつけられました。開祖は、南浦文之が招かれ、朱子学をわが国にもたらした桂庵玄樹の学問を伝える儒僧として、その教えを広めました。
文之和尚は、1555年(弘治元)日向(宮崎県)飫肥に生まれ、文珠童と呼ばれるほどの才児で、串間の龍源寺の一翁玄心によって桂庵の教えに触れました。
著作の中で、「南浦文集」に収められた「鉄砲記」は、我が国への鉄砲伝来を知る貴重な資料と言われています。
また文之和尚は、義久、義弘、家久の三代に仕えた政治顧問としても有名で、琉球政策などに手腕を発揮し、黒衣の外交官と言われました。
1620年(元和6)死去、鹿児島県加治木の安国寺に葬られています。
ここに書かれている事🌸
そうなんですよね🐱
儒教の教えと朱子学
学ぶことって楽しいですよね💗
そして鉄砲記✨
種子島に中国の船とポルトガル人の話ですね🐈
ここまではこの地域が上級武士のお屋敷など
含めたディープな歴史と探索の回ですね💗
そこをまっすぐ進むと
以前紹介した南洲神社ですね
南洲翁と南洲戦争の戦死者を祀る場所です。
鹿児島に来た際はぜひ一度
足を運んでいただければ皆さん喜ぶと思います。
私は線香持っていってご挨拶します。
南洲翁を中心に。
『ぼっけもん』という言葉が鹿児島弁でありますが。
『怖いもの知らず』といいます。
私からすると人間の方が怖いですけどね。。。
今回の本当の目的へ
