2024年9月3日火曜日

その2 1945年6月17日亡くなった御霊へ

 


鹿児島というのは

昔から不思議な地域だ。


1865年

薩摩藩の若者がイギリスに留学した。

1982年に起きた生麦事件。

その後の薩英戦争。

後の和解。


その時から時代が進んで

ある意味開国している。


この話は置いておいて。


2024年09月03日今日



鹿児島中央駅の徒歩4~5分の場所に

共研公園という場所があります。


広場を写したかったのですが

年配者の方々がゲートボールをしていらっしゃったので

裏手から撮影をしてきました。


この場所は

『鹿児島市立女子興業学校の跡地』


1945年6月17日あの日。

鹿児島大空襲で犠牲になった場所。



朝から

この場所に来ると。

涙が出てしまった。


【慰霊碑左・表】

太平洋戦争の犠牲になられし
学友の悲痛な叫び
後の世まで忘るまじ

ああ あれから五十有余年
御霊よ 安らかなれと祈る

平成十六年六月十七日
創立百十周年記念事業
鹿児島女子高等学校同窓会帰厚会建立



【慰霊碑右・表】


雪に耐えて
梅花麗し

鹿児島市長書

鹿児島市立女子興業学校跡地
現 鹿児島女子高等学校

明治四十四年鹿児島市易居町から上之園町に移転
昭和二十年六月十七日の鹿児島大空襲により焼失
三十五年間の学び舎としての幕を閉じる


同じ過ちを繰り返す人間。

戦争が生む物は何もない。


この時代を生き抜いた人々の子孫が

今この時代を作っている。

皆もその一人だ。


当たり前の日常の

鹿児島の街並みを歩きながら。


悲しみと感謝と複雑な感情の中。


平和の在り方をもう一度問う。


今は亡き御霊へ心より哀悼の意を。


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