1945年(昭和20年)
3月18日~8月6日までに8回
第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって
鹿児島県鹿児島市と周辺に対して行われた都市無差別爆撃。
6月17日
空襲で死者2316人
負傷者3500人
市街地の44.1パーセントが損壊し
最終的な死者は3300人
市街地の93パーセントが焼失した
あれから79年
我々は忘れている。
私の祖母はこの爆撃の中。
弟をおんぶして逃げた。
祖母と弟が逃げる数十メートル先に
B-29が空からばらまいた焼夷弾(しょういだん)が降り注いだ。
あと少し早くてもあと少し遅くても。
祖母たちはその時下手すれば死んでいた。
間一髪その瞬間を生き抜いた祖母のおかげで。
私は今存在する。