2024年9月3日火曜日

1945年6月17日を生き抜いて。


 1945年(昭和20年)

3月18日~8月6日までに8回

第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって

鹿児島県鹿児島市と周辺に対して行われた都市無差別爆撃。

6月17日

空襲で死者2316人

負傷者3500人

市街地の44.1パーセントが損壊し

最終的な死者は3300人

市街地の93パーセントが焼失した


あれから79年


我々は忘れている。


私の祖母はこの爆撃の中。


弟をおんぶして逃げた。


祖母と弟が逃げる数十メートル先に


B-29が空からばらまいた焼夷弾(しょういだん)が降り注いだ。


あと少し早くてもあと少し遅くても。


祖母たちはその時下手すれば死んでいた。


間一髪その瞬間を生き抜いた祖母のおかげで。


私は今存在する。


その2続く



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