大久保利通
この場所は先日行った
維新ふるさと館の隣にあります。
西郷さんと大久保さんに関しては
日本で知らない人はいないのではないかと
思いますが。
大久保さんは
この日本を本当は
どうしたかったのだろうか。
そういう思いに耽りながら
歩いていました。
歴史を知れば知るほど
国家を背負うという事がどういうことか。
武士達が
幕末から続く乱世をどう生きたのか。
何故この日本の為に命を懸けたのか。
そういう事を良く考えます。
最近
なぜそういうことを考えるのか?
今の日本を見ていて危惧するからです。
何より似ている気がするんですね。
明治という時代に。
大久保さんや西郷さんや
当時を生きた先人の気概や生き様
とでも言えばいいですかね。
そういう感覚を現代を生きる人々や
政治家や専門家も含め
すごく感じる時があるんです。
それが良いのか悪いのかは
私にはわからない。
ただ。
歴史を追うと表面上は
偉大な先人達の輝かしい偉業の部分しか映りにくい。
この2か月程
歴史を改めて知れば知るほど
暗い影の部分も改めて見えてきたんです。
以前紹介した月照さん。
彼の事を知るにはまず
尊王攘夷(そんのうじょうい)
について知らないといけない。
南林寺
月照上人の墓
月照さんが眠る
南林寺です。
薩摩藩が月照さんの受け入れを
拒否したんですね。
そういう背景がある。
その後
西郷さんは奄美大島に島流しに合い
色々考えたんだと思います。
一度死んだ命ですからね。
本当の思いは南洲翁にしか
わからないと思いますが。
薩摩に対しても幕府にも
そして大久保さんに対しても
この頃から少しずつ
仲たがいのような状態が起きていくんですね。
後のお話でこの件が
西郷さんを別人に変えたというお話もあります。
西郷さんの決起ですよね。
腹を据えて
この日本を本気で守りに行く。
幕府には任せられないと。
みんな。
それぞれの形で日本を守ろうとしてるんです。
だからですかね。
歴史を知ると心が痛くなるんです。
大久保さんは当時
情だけでは国は守れない。
だが。情を持つ人間も必要だ。
そういう風になっていた。
月照さんの事で西郷さんは変わった。
その西郷さんを見て大久保さんも腹を据えたんですね。
そのあとに起きるのが
1862年5月21日に起きた
寺田屋事件なんです。
画像は借り物です。
薩摩藩が尊王攘夷の過激派を粛清した事件ですね。
薩摩藩同士の殺し合いです。
外国を追い出せ。
討幕せよ。
日本中がそういう動きになっていたんですね。
島津久光がこの時動くんですね。
過激派を止めろと。
それを後ろから支持したのは大久保さん。
切ないですよね。。。
若い武士が
全員帰らぬ人に。。。
有馬新七
柴山愛次郎
橋口吉之丞
森山新五左衛門
中村与右衛門
田中謙助
橋口伝蔵
5月21日が来るんです。
今年も。
以前紹介した南洲墓地に
眠っています。
その後始末をしたのが西郷さんなんです。
亡くなった家族の世話も。
死亡者の名誉を守り。
ずっと寄り添い続けた。
弱者を守り民の声を聞く。
今の日本と重なってきませんか。
明治政府の改革は進んでいく。
武士たちの居場所も無くなる。
その先にあるのが
西南戦争なんですね。
若者たちの命を守る為。
民の命を守る為。
一連の歴史の流れです。
今日のお話は歴史の1ページ。
今日本でも世界でもデモが起きたり
それぞれの正義が戦っている。
みんな自国を良くしたいんだと思う。
しかし。
それと同時に人が死んだり戦争が起きたり。
過去と同じ道を歩んでいるように見える。
移民や外国人を排除する動きも。
それぞれの正義がぶつかり合って。
対峙している。
政府と国民が若者が対峙している。
過去と同じようにフェイクを流布することもある。
同族も互いにだまし合う。
メディアが煽る。
明治の状態から
もし学べることがあるとすれば
西郷と大久保を繋ぐ人物が居てくれたら。
ブリッジ役が居てくれたら。
少しは対立ではなく互いに助け合う方向へ
向かったのかもしれないと感じる。
それが日本の
『和』
なのかもしれない。

