2024年7月10日水曜日

747SRと737MAX

The particular aircraft scheduled to operate flight 123 was JA8119, an 11-year-old Boeing 747 SR manufactured in 1974 and delivered directly to Japan Airlines. JA8119 was no stranger to trouble: in fact, it had been involved in an accident before. On the second of June 1978, the plane was landing in Osaka as Japan Airlines flight 115 when the pilot pitched up too steeply during touchdown. The tail struck the runway, causing major damage to the aft fuselage skin, aft pressure bulkhead, horizontal stabilizer control system, APU doors, APU mount assembly, tail cone, and several structural elements. The aircraft subsequently rolled out safely, but 25 of the 394 people on board were injured, two of them seriously.

123便を運航する予定だった機体はJA8119で、1974年に製造され日本航空に直接納入されてから11年経ったボーイング747 SRだった。JA8119はトラブルに見慣れていたわけではなく、実際に以前にも事故を起こしていた。1978年6月2日、同機は日本航空115便として大阪に着陸しようとしていたが、着陸時にパイロットが機首を上げすぎた。尾部が滑走路に衝突し、胴体後部外板、後部圧力隔壁、水平安定板制御システム、APUドア、APUマウントアセンブリ、テールコーン、およびいくつかの構造要素に大きな損傷が発生した。その後、機体は安全に滑走路から脱出したが、乗客394人中25人が負傷し、うち2人が重傷を負った。

The aircraft was rendered unserviceable as a result of the accident and needed to be taken in for extensive repairs. After patching up some critical components, JA8119 was ferried without passengers to a Japan Airlines heavy maintenance facility in Tokyo, where it underwent intensive reconstruction between June 17th and July 11th. The extent of the repairs was such that Japan Airlines didn’t have the expertise to fix it alone, so the company contracted the work out to a Boeing repair team based in Tokyo.

事故により機体は使用不能となり、大規模な修理が必要となった。重要な部品の修理が済んだ後、JA8119は乗客を乗せずに東京の日本航空重整備工場に運ばれ、6月17日から7月11日にかけて集中的な改修工事が行われた。修理の範囲が広すぎたため日本航空だけでは修理する専門知識がなかったため、同社は東京に拠点を置くボーイング社の修理チームに作業を委託した。


88年12月、群馬県警が日航、ボーイング社、運輸省の計20人を業務上過失致死傷容疑で前橋地方検察庁に書類送検

別途、遺族側が告訴・告発した者を含む31人は89年11月全員不起訴。

最大の理由はボーイング社からの事情聴取ができなかった


1978年6月2日『尻もち事故』

東京に拠点を置くボーイング社。

これは日本国内で委託をしているということ。

上記を見る限り日本航空重整備工場に運ばれて約1か月かけて

ボーイング社修理チームが日本の工場にきて作業したという事ではないか。

であれば。

現場のセキュリティーの面からしても

現場のボーイング社の作業員や責任者の名簿も存在するはずではないか?

誰が圧力隔壁の修理ミスをしたのか?

その指示を誰がしたのか?

日本航空側は理解している可能性がある。

検察もこの事を知っている可能性がある。

でも検察は裁判所に対してなぜ訴えを起こさなかったか?

ボーイングが黙秘。

日本の検察も優秀なはず。

でも。業務上過失致死傷容疑に関しては不起訴。

ただ修理ミスに関してはボーイング社は責任を認めた。

業務上過失致死傷罪(刑法第211条)

刑事罰に対する判断を当時どう見たのだろうか。

※過去動画で話した件含む


'Flying Blind' author says Boeing put profit ahead of safety with the 737 MAX

「Flying Blind」の著者は、ボーイングが737MAXで安全よりも利益を優先したと述べている


より一部引用

デイヴィス:1985年に日本で747が墜落したとき、ボーイング社はすぐに責任を認めて「そうです、これは私たちの責任です」と言いました。 この時とは正反対の対応でしたね。

ロビソン: そうです。そして、これはボーイングの歴史から大きく逸脱しています。ボーイングの最も偉大なエンジニアの一人、ジョージ・シャイラーという人物の言葉があります。彼は第二次世界大戦後にドイツに行き、後退翼の利点を発見した人物です。彼は、ボーイングが偉大なのは墜落事故の後、広報を呼ばなかったからだと語っています。弁護士を呼ばなかったのです。パイロットを責めなかったのです。何が間違っていたのかを注意深く調べ、責任を取ったのです。


さて。

ボーイングの対応のなにが違うのか?

これも点の一つ。

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